
薪水給与令は1842年だと覚えたのに、問題集には1806年にも出たと書いてありました。2回の違いと、異国船打払令やモリソン号事件との順番がごちゃごちゃです。











結論は「1806年に穏便な取扱いを示し、1825年に打払いへ強硬化し、1842年に穏便方針へ戻した」だ。ただし1807年にはロシア船だけを厳しく扱う例外もあり、ここを一括して「1年で全面撤回」と覚えると史料問題で崩れる。出来事を原因と結果で一本につなげよう。
薪水給与令は、江戸幕府が来航した外国船に薪・水・食料を与え、通商や上陸を認めずに退去させるための取扱方針です。この記事では、文化3年(1806年)と天保13年(1842年)の二つを区別し、レザノフ来航から異国船打払令、モリソン号事件、アヘン戦争、ペリー来航までを時系列で整理します。国立公文書館の公開資料を軸に、定期テスト・共通テスト・私大入試で問われる因果関係まで確認します。
目次
薪水給与令とは?まず2回の違いを結論から整理
薪水給与令の「薪」は船の燃料などに使うたきぎ、「水」は飲料水、「給与」は必要な物を与えることを意味します。現代の給与のような賃金の話ではありません。外国船に必要最低限の物資を渡して帰帆を促す政策であり、自由な貿易、恒常的な入港、外国人の上陸まで認めた命令でもありません。まず「補給を認めること」と「開国して通商を認めること」を分けるのが理解の出発点です。
| 区分 | 年・元号 | 直接の背景 | 入試での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 文化の薪水給与令(文化の撫恤令) | 1806年・文化3年 | 1804年のレザノフ来航など | 外国船を穏便に帰帆させる方針 |
| 天保の薪水給与令 | 1842年・天保13年 | モリソン号事件とアヘン戦争の衝撃 | 1825年の異国船打払令を緩和 |
二つはどちらも補給によって退去を促す点で共通しますが、歴史上の役割が違います。1806年令は、ロシア使節レザノフの来航などを受けて外国船との無用な衝突を避けようとした取扱いです。1842年令は、1825年から続いていた無差別な打払い方針を、アヘン戦争で清がイギリスに敗れた現実を前に緩和した政策転換です。問題文に「異国船打払令を改めた」「アヘン戦争」とあれば1842年を選びます。











同じ名前でも、1806年は最初の穏便方針、1842年は打払令をやめて穏便方針へ戻す命令なんですね。











その理解でよいよ。辞書や教科書で単に「薪水給与令」と書くと1842年令を指すことが多い一方、入試では1806年の文化の撫恤令も「文化の薪水給与令」と表現される。年だけで丸暗記せず、前後の政策とセットで識別するのが安全だ。
📚 用語解説
薪水給与令:来航した外国船に薪・水・食料を与え、衝突を避けながら退去させる江戸幕府の取扱方針。文化3年(1806年)と天保13年(1842年)の二つがあり、単独では後者を指すことが多い用語です。
1806年の穏便方針 → 1825年の異国船打払令 → 1842年の穏便方針への復帰。この三段階を軸に、レザノフ・フェートン号・モリソン号・アヘン戦争を原因として差し込みましょう。
1806年の文化の薪水給与令|レザノフ来航が背景
国立公文書館「漂流ものがたり」によると、幕府は寛政3年(1791年)の取扱いで、漂着船を調べ、船具などを取り上げて長崎へ送る一方、指示に従わない場合は厳しい処置を命じていました。18世紀後半以降、日本近海に外国船が現れる機会が増え、各地の沿岸で「漂流船なのか、通商を求める船なのか、敵対する船なのか」を判断しなければならなくなっていたことが背景にあります。
文化元年(1804年)9月、ロシアの外交官レザノフが長崎へ来航しました。目的には日本人漂流民の送還と通商要求が含まれていましたが、幕府は国書を受理せず、通商も認めませんでした。そこで幕府は文化3年(1806年)正月26日、新たな取扱いを諸大名へ示し、渡来した外国船はなるべく穏便に帰帆させ、とくに漂流船には薪水を与える方針を採りました。これが文化の薪水給与令、または文化の撫恤令と呼ばれるものです。
ここで重要なのは、レザノフの通商要求を受け入れたから命令が出たのではない点です。幕府は通商を拒みながら、物資不足や漂流で近づいた船まで直ちに攻撃すれば紛争を招くため、補給して帰すという実務的な対応を選びました。鎖国下の対外政策を「拒絶か開国か」の二択で見るのではなく、通商拒否を維持しつつ現場の衝突を抑える中間的な対応として理解すると、命令の意味が見えます。











レザノフの要求を認めたのではなく、通商は断るけれど、漂流船には物資を渡して穏便に帰す方針なんですね。











そうだ。入試では「レザノフ来航=開国」ではなく、「通商拒否の後、文化3年令で穏便な外国船取扱い」と結ぶ。人物・要求・幕府の回答・次の法令という4点を一組にして覚えよう。
📚 用語解説
文化の撫恤令:文化3年(1806年)の外国船取扱いを指す呼称。「撫恤」にはいたわり救うという意味があり、文化の薪水給与令とも呼ばれます。
「1804年に長崎へ来航して通商要求」までを一息で言えるようにし、その結果として1806年の穏便方針を続けます。年号だけでなく因果の矢印を声に出すと並べ替え問題に強くなります。
文化の薪水給与令は1年で全面撤回?1807年の注意点
競合記事などには「1806年令は翌1807年に撤回された」と説明するものがあります。背景には、通商を拒否されたレザノフの配下が文化3年(1806年)9月から翌年4月にかけて蝦夷地の幕府拠点を襲撃し、幕府がロシアへの警戒を急速に強めたことがあります。弘前藩庁日記の史料解説では、1807年の変更はロシア船に限って打払いを命じたものと整理されています。
一方、国立公文書館は、文化3年令による「薪水を与えて異国と事を荒立てない方針」が1825年の異国船打払令まで維持されたと説明しています。実際、1808年のフェートン号事件のような重大事件が起きても、外国船一般を一律に攻撃する無二念打払令が出るのは1825年です。したがって、1807年にロシア船への対応が強硬化したことと、外国船一般への文化3年方針が全面的に消えたことを同一視しないほうが、史料に沿った精密な理解になります。
短い解説では対ロシアの変更を文化3年令全体の撤回として説明する場合があります。論述では、「ロシア船には強硬化したが、外国船一般への穏便方針は1825年まで続いた」と対象を分けて書くと安全です。











1807年はロシア船への対応が変わったのであって、すべての外国船を直ちに打ち払う命令ではないんですね。











そのとおり。主語を確認しよう。「ロシア船」なのか「渡来する異国船一般」なのかで政策の範囲が違う。史料問題では、対象・条件・命じた行動の三つに線を引くと、見かけの矛盾を解ける。
📚 用語解説
ロシア船打払令:1806〜1807年のロシア側による蝦夷地襲撃を受けた対ロシアの強硬措置。1825年に外国船一般を対象として出された異国船打払令とは、対象と時期を分けて覚える必要があります。
フェートン号事件から1825年の異国船打払令へ
文化5年(1808年)、イギリス軍艦フェートン号が長崎へ不法に入港しました。当時のイギリスはオランダと戦争状態にあり、フェートン号はオランダ船の拿捕をねらい、オランダ商館員を捕らえて食料・水・薪を要求した後に退去しました。日本側から見れば、穏便な取扱いを前提としていても、相手が武力を背景に要求を押し通す場合へどう対応するかという海防上の問題が露わになった事件です。
さらに文政7年(1824年)、イギリスの捕鯨船員が常陸国大津浜へ不法上陸し、薩摩の宝島でも外国人の上陸事件が起きました。こうした事件を受け、幕府は文政8年(1825年)2月、異国船打払令を発布します。「無二念」、つまりためらわずに打ち払うことを命じたため、無二念打払令とも呼ばれます。文化3年の穏便方針から、外国船一般を一律に排除する強硬方針へ軸が移ったのです。
| 出来事・法令 | 年 | 国・船 | 政策史での意味 |
|---|---|---|---|
| フェートン号事件 | 1808年 | イギリス軍艦 | 長崎へ不法入港し物資を要求 |
| 大津浜事件・宝島事件 | 1824年 | イギリス捕鯨船関係者 | 外国人上陸への警戒を強める |
| 異国船打払令 | 1825年 | 外国船一般 | 無差別な砲撃・排除へ転換 |











事件名が多いですが、フェートン号と大津浜・宝島を「強硬化の原因」とまとめればよいですか?











よい整理だ。ただし船籍も押さえよう。フェートン号はイギリス軍艦で1808年、大津浜と宝島は1824年のイギリス捕鯨船関係の事件、その翌年が異国船打払令だ。年代と国を表にして再現しよう。
📚 用語解説
異国船打払令(無二念打払令):文政8年(1825年)、日本沿岸へ近づく外国船を国籍や事情を問わず打ち払うよう命じた法令。天保13年(1842年)の薪水給与令で緩和されました。
年表を覚えるときは、事件を孤立した点にしないことが大切です。文化3年の穏便方針があり、それでも外国船による侵入や上陸が続き、幕府が海防上の危険を強く感じたため1825年に打払いへ進んだ、と因果で説明します。この方法なら、選択肢の年号が隠されても内容から法令を特定できます。
モリソン号事件と蛮社の獄|打払令の問題が表面化
天保8年(1837年)、アメリカ船モリソン号が日本人漂流民の送還と通商を求めて浦賀沖へ現れました。しかし現場では1825年の異国船打払令が有効だったため、船は砲撃を受け、退去を余儀なくされます。船の目的を十分に確かめず、外国船であることを理由に攻撃する方針が、漂流民の帰国機会まで失わせる危険を持つことが明らかになりました。
この幕府の姿勢を批判したのが蘭学者の高野長英や渡辺崋山らです。国立公文書館の解説では、モリソン号事件への批判に関わった両者は天保10年(1839年)の蛮社の獄で処罰され、高野長英は投獄、渡辺崋山は蟄居を命じられました。つまりモリソン号事件は、打払令の対外的危険だけでなく、海防政策をめぐる国内の言論と幕府の統制を考える接点にもなります。











モリソン号事件の次がすぐ薪水給与令ではなく、1839年の蛮社の獄を間に入れて覚えるんですね。











そうだ。1837年モリソン号事件 → その政策批判 → 1839年蛮社の獄、という国内の流れを作る。その外側で1840年にアヘン戦争が始まり、政策変更の決定打が加わる。内外二つの圧力で整理しよう。
📚 用語解説
モリソン号事件:天保8年(1837年)、日本人漂流民の送還と通商を求めて来航したアメリカ船モリソン号が、異国船打払令に基づく砲撃を受けて退去した事件です。
📚 用語解説
蛮社の獄:天保10年(1839年)、幕府の対外政策を批判した渡辺崋山・高野長英ら蘭学者が処罰された事件。モリソン号事件と結びつけて問われます。
受験勉強では、事件名と人物名を別々のカードにしすぎると因果が切れます。モリソン号事件のカード裏に「目的=漂流民送還・通商要求」「適用法令=異国船打払令」「批判者=渡辺崋山・高野長英」「結果=蛮社の獄」と一連で書きましょう。日本史全体のつなげ方は、大学受験の日本史勉強法でも解説しています。
1842年の天保の薪水給与令|アヘン戦争が転換点
アヘン戦争は1840年から1842年にかけて清とイギリスの間で起きました。イギリスは強大な軍事力を行使し、敗れた清は1842年に南京条約を結びます。国立公文書館は、この圧倒的な軍事力が幕府当局者や全国の知識人へ大きな衝撃を与えたと説明しています。幕府にとって、事情を問わず外国船を砲撃する異国船打払令は、イギリスとの戦争を招きかねない危険な方針になりました。
そこで幕府は天保13年(1842年)7月、異国船打払令を改め、来航した外国船に薪・水・食料を与えて退去させる薪水給与令を出しました。文化3年(1806年)の穏便な取扱いへ戻す性格を持つため、「新しい開国政策の開始」とだけ捉えるより、「無二念打払いをやめ、武力衝突を避けるため旧来の補給・退去方針へ復帰した」と説明するほうが正確です。
| 観点 | 1825年 異国船打払令 | 1842年 薪水給与令 |
|---|---|---|
| 外国船の確認 | 事情を問わず排除 | 来航事情と物資不足を確認 |
| 現場の行動 | 砲撃して打ち払う | 薪水・食料を与え退去を促す |
| 政策目的 | 外国船の接近を強く拒む | 欧米との武力衝突を避ける |
| 通商・開国 | 認めない | 依然として認めない |











アヘン戦争で清が敗れたのを見て、「同じように砲撃を続けたら日本も危ない」と判断したわけですね。











その理解が核心だ。試験では「アヘン戦争の結果を知った幕府が何をしたか」と問われる。答えは鎖国をすぐやめた、ではなく、異国船打払令を緩和して天保の薪水給与令を出した、だ。
📚 用語解説
アヘン戦争:1840〜1842年に清とイギリスの間で起きた戦争。清の敗北とイギリスの軍事力は江戸幕府にも衝撃を与え、1842年の薪水給与令へ政策を転換する大きな背景になりました。
モリソン号事件で打払令の危険が表面化し、アヘン戦争で清がイギリスに敗れたため、幕府は欧米との戦争を避けようとして異国船打払令を緩和し、薪水給与令を出しました。
薪水給与令は開国ではない|1844年以後とのつながり
- 打払令: 補給より排除を優先
- 通商条約: 貿易を制度として認める
1842年令は武力衝突を避ける重要な転換ですが、幕府は通商を認めていません。外国船が食料や薪水を欠いて帰航できないときに必要な品を与え、上陸させずに帰すという限定的な措置です。したがって、「打払令から薪水給与令へ変わった=鎖国が終わった」という選択肢は誤りです。政策の強硬度は下がっても、対外関係の基本線は通商拒否のままでした。
国立公文書館の年表では、弘化元年(1844年)にオランダ国王が特使を派遣して開国・通商を勧告し、幕府は翌年その勧告を拒否したとされています。この経過からも、1842年の薪水給与令がただちに開国を意味しないことが分かります。薪水を渡す実務的な接触と、国として港や通商を制度的に開くことは別の段階です。
その後、嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀へ来航し、安政元年(1854年)に日米和親条約が結ばれます。薪水給与令は、強硬な打払いをやめて外国船へ限定的な補給を認めた点で開国前史の一段階ですが、条約に基づいて港を開く日米和親条約とは同じではありません。さらに貿易を本格的に認める日米修好通商条約は1858年であり、補給・開港・通商を段階別に並べる必要があります。











「薪水を渡す」「港を開く」「貿易を認める」は、同じ対外緩和でも別の段階なんですね。











その区別ができれば正誤問題に強い。1842年は補給して退去、1854年は和親条約で開港、1858年は修好通商条約で貿易という順番だ。法令名だけでなく、何を認めたかを動詞で覚えよう。
薪水給与令は開国へ向かう政策変化の一段階と評価できますが、命令自体は通商を認めていません。論述では「武力衝突回避のため補給を認めたが、通商拒否は維持した」と限定して書きましょう。
さらに先の流れは、国立公文書館の「激動幕末」年表で一次資料とともに確認できます。学習時には1804年から1854年までを紙に横一列で書き、各項目の下へ「要求」「幕府の対応」「次の変化」を一語ずつ添えると、政策の段階差が明確になります。
文化と天保の薪水給与令の違い|入試での見分け方
| 識別ポイント | 文化の薪水給与令 | 天保の薪水給与令 |
|---|---|---|
| 西暦・元号 | 1806年・文化3年 | 1842年・天保13年 |
| 前に置く人物・事件 | レザノフ来航 | モリソン号事件・アヘン戦争 |
| 前の政策 | 1791年の外国船取扱い | 1825年の異国船打払令 |
| 命令の役割 | 穏便な取扱いを示す | 無二念打払いを緩和する |
| 後に続く事項 | 対ロシア警戒・フェートン号事件 | オランダ国王勧告・ペリー来航 |
入試で単に「薪水給与令」と出た場合は、まず1842年を想定します。国立公文書館の解説も1842年令を薪水給与令として扱い、異国船打払令を改めた政策と位置づけています。ただし「文化3年」「レザノフ」「文化の撫恤令」という語があれば1806年です。問題作成者は同名・類似内容を利用して時期の識別を問うため、年代の手掛かりを一つずつ拾います。
正誤問題では、背景を入れ替える誤文が典型です。「レザノフ来航を受け1842年に出した」なら、人物と年が不一致です。「アヘン戦争を受け1806年に出した」も同様です。また「1842年令で通商を開始した」は内容の誤りです。年・原因・内容の三列で照合すれば、長い文章でも判定を安定させられます。











問題文で年が隠されても、「打払令を改めた」なら1842年、「レザノフ」なら1806年と判断できますね。











完璧だ。さらに「清の敗北」「南京条約」「水野忠邦の時期」も1842年側の手掛かりになる。一問一答は用語を答えて終わりにせず、原因語を二つ言えるかまで確認しよう。
表面に法令名、裏面に「年」「原因」「内容」を書きます。日本史史料の復習法は日本史史料一問一答の使い方も参考にしてください。
薪水給与令の覚え方と確認問題|時系列を得点に変える
最短の覚え方は「文化で与える、文政で打つ、天保でまた与える」です。ただし語呂だけでは論述に使えないため、その下に理由を足します。文化3年はレザノフ来航後の穏便策、文政8年は外国船事件が続いた後の強硬策、天保13年はモリソン号事件とアヘン戦争後の緩和策です。三つの政策を振り子のように動かし、何が振り子を押したのかを事件名で説明できる状態にします。
確認問題1|出来事を古い順に並べる
次の出来事を古い順に並べてください。①モリソン号事件、②天保の薪水給与令、③フェートン号事件、④異国船打払令、⑤文化の薪水給与令。答えは⑤(1806年)→③(1808年)→④(1825年)→①(1837年)→②(1842年)です。競合記事の4項目に文化3年令も加え、政策の往復まで確認します。
確認問題2|誤っている説明を直す
「幕府はアヘン戦争で清が敗れたため、1825年に異国船打払令を出した」という文は誤りです。1825年の打払令はフェートン号事件や1824年の外国人上陸事件などを背景とする強硬策です。アヘン戦争の衝撃を受けて幕府が行ったのは、1842年に打払令を緩和し、薪水給与令を出すことでした。
確認問題3|80字程度で因果を説明する
解答例は「モリソン号事件で異国船打払令の危険が表面化し、アヘン戦争で清がイギリスに敗れたため、幕府は欧米との衝突を避けようとして1842年に打払令を緩和し、薪水給与令を出した」です。字数に合わせて、事件・戦争・判断・法令の四要素を残し、修飾語から削ります。











並べ替え、正誤、論述を同じ因果の一本線から練習すれば、問題形式ごとに別暗記しなくて済みますね。











そのとおり。最後は白紙に年表を再現し、各矢印へ「なぜ次へ動いたか」を書く。翌日と一週間後にも同じ再現テストをすれば、見たことがある知識を自力で使える知識へ変えられる。
歴史用語を流れで覚える勉強法は、歴史総合の勉強法でも詳しく扱っています。薪水給与令だけを完璧にして終わらず、前後50年の対外政策を同じ形式で再現できるようにすると、未知の史料を読ませる問題にも対応できます。
大学受験の日本史は「普通の対策」では受からない
結論から言います。教科書を読む、一問一答で用語を覚える、映像授業を見るという「普通の対策」だけで、大学受験の日本史を安定した得点源にするのは厳しいです。薪水給与令だけでも、1804年のレザノフ来航、1806年の文化3年令、1807年の対ロシア措置、1808年のフェートン号事件、1825年の打払令、1837年のモリソン号事件、1840〜1842年のアヘン戦争、1842年の天保13年令を、対象と因果まで区別しなければ正誤・史料・論述へ対応できません。
用語を一度見て分かった状態と、翌日も白紙から時系列を再現し、初見の選択肢を判定できる状態は別物です。必要なのは情報を増やすことだけではなく、覚える範囲を日ごとに決め、再現テストを行い、誤答の原因を次の課題へ反映する行動です。ここでは、よく選ばれる学習手段を「従来塾の3つの限界」①授業で情報を得ても行動は変わらない、②全員同じ指導は偏差値50に収束する、③週1指導では変化が遅い、に照らして一つずつ検討します。
選択肢① 独学・参考書のみでは①②の限界に当たる
独学では参考書から知識を得られても、今日はどの時代を何問解き、いつ再テストするかまで自動では決まりません。人気の一問一答を周囲と同じ回数読むだけなら、学習行動も平均へ寄り、因果説明が必要な問題で差をつけにくくなります。情報を得ても行動が変わらない①と、全員同じ方法に寄る②の限界です。
選択肢② 映像授業・アプリでは①②の限界に当たる
映像授業で薪水給与令の流れを理解しても、視聴後に白紙年表を書き、誤った箇所を翌日の課題へ戻さなければ得点力には変わりません。同じ動画・同じ問題セットを全員が進めるだけでは、生徒ごとの「年号は言えるが理由が言えない」といった弱点も残ります。視聴を実行へ変えにくい①と画一的な②の限界が重なります。
選択肢③ 集団授業の大手予備校では②の限界に当たる
集団授業は通史を体系的に学べますが、全員が同じ進度・同じ復習課題で進みます。薪水給与令の二つを混同する生徒と、史料の語句だけ落とす生徒では必要な課題が違うのに、一斉授業だけでは個別の誤答原因へ毎日対応できません。全員同じ指導が平均へ収束しやすい②の限界に当たります。
選択肢④ 一般的な個別指導塾では③の限界に当たる
一般的な個別指導は授業中の疑問を解消できますが、週1〜2回の指導だけでは、その翌日に年表を再現したか、一週間後に忘れていないかまで追い切れません。日本史は毎日の小さな復習のずれが全時代へ積み重なるため、次の授業まで修正を待つ③の限界が得点の伸びを遅らせます。
独学・参考書、映像授業・アプリ、集団授業の大手予備校、一般的な個別指導塾は、いずれも①〜③のどれかに当たり、薪水給与令のような因果知識を毎日再現できる状態へ変えるには不十分です。消去法で見れば、学ぶ内容だけでなく「今日の課題」「再現できたか」「明日何を直すか」を1日単位で個別管理する鬼管理専門塾しかない、という結論になります。
鬼管理専門塾の特徴
鬼管理専門塾は、授業を増やすのではなく、生徒ごとの学習行動を具体化し、実行と定着を毎日・毎週確認する仕組みで、上記三つの限界を解消します。公式ページで確認できる固定6特徴を、薪水給与令を含む大学受験日本史の学習へどう接続できるかとあわせて整理します。
「今日やるべきこと」を英単語○語・問題○題のように数値で指示する
得点データをもとに、専属講師が生徒ごとの行動プランを設計する
進捗を毎日確認し、毎週の確認テストで定着度を検証する
厳格な基準で選考した専属講師陣。講師満足度アンケートは回答1,524件
大学・学部特化、総合型選抜・推薦、英語資格、高校受験の専門コースを展開する
LINEで質問でき、Zoomの無料説明会や資料請求で入会前に相談できる
❶ 1日単位の数値化した学習指示
鬼管理専門塾では、毎朝「今日やるべきこと」を数値で指示します。時間・場所・教材・目的まで具体化し、何をすべきかで迷う時間を減らします。
薪水給与令の学習なら、今日は1804〜1825年の年表を白紙再現し、正誤問題を何題解くかまで数値化でき、学習開始時の迷いをなくせます。
❷ 生徒ごとの個別行動プラン
全員に同じ課題を出すのではなく、現在の得点、得意・不得意、志望校の配点に合わせて、生徒ごとの行動プランを設計します。
年号を忘れる生徒、事件の因果を説明できない生徒、史料語句で落とす生徒を分け、それぞれに異なる日本史の行動プランを組めます。
❸ 毎日・毎週の徹底管理と確認テスト
日々の進捗確認に加えて毎週の確認テストを行い、基準に届かなければ追加課題と計画修正を行って、遅れをその週のうちに戻します。
文化と天保の二つを覚えたつもりで終わらせず、翌日と翌週の確認テストで再現できるかを測り、混同が残ればその週に課題を追加できます。
❹ 採用率0.6%の専属講師陣
講師は難関大学合格実績と独自審査を満たした人材から採用し、採用率は0.6%です。指導の質は講師満足度アンケート回答1,524件でも継続的に検証しています。
幕末外交史の用語暗記から史料・論述への接続も、厳格な採用基準を満たす専属講師へ相談し、答案で欠けた因果を具体的に修正できます。
❺ 大学受験〜英語資格まで専門コース展開
大学・学部特化の大学受験、総合型選抜・推薦、英検・TOEIC・TOEFL・IELTS・TEAPなどの英語資格、高校受験まで専門コースを展開しています。
志望大学・学部の日本史出題に合わせ、通史、一問一答、史料、正誤、論述の比重を調整し、総合型選抜や英語資格など他方式との両立も相談できます。
❻ LINE質問対応+無料説明会・資料請求
授業がない日もLINEで質問でき、入会前にはZoomの無料説明会や資料請求を利用できます。生徒と保護者が指導内容を確認してから判断できます。
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まとめ|薪水給与令は1806→1825→1842の政策変化で覚える
| この記事の要点 | 覚える内容 |
|---|---|
| 文化の薪水給与令 | 1806年。レザノフ来航後、漂流船へ薪水を与え穏便に帰す |
| 1807年の注意 | ロシア船には強硬化したが、外国船一般の穏便方針と区別する |
| 異国船打払令 | 1825年。フェートン号事件や1824年の上陸事件後に無差別打払い |
| モリソン号事件 | 1837年。漂流民送還・通商要求の船を砲撃し、政策の危険が表面化 |
| 天保の薪水給与令 | 1842年。アヘン戦争の衝撃から打払令を緩和 |
| 開国との違い | 薪水・食料の補給は認めたが、通商はまだ認めていない |
薪水給与令で最も大切なのは、1806年と1842年という二つの年号を当てることだけではありません。外国船との衝突を避ける穏便方針が、事件の積み重ねで1825年の打払いへ変わり、モリソン号事件とアヘン戦争を経て1842年に再び穏便方針へ戻った、という政策変化を説明できることです。1807年の対ロシア強硬化は対象を限定して理解し、外国船一般の政策と混ぜないようにしましょう。
最後に白紙へ1804・1806・1808・1825・1837・1839・1840〜42・1842・1844・1853・1854を並べ、人物・事件・幕府の対応を一語ずつ添えてください。書けなかった箇所だけ教科書と国立公文書館の年表へ戻り、翌日にもう一度再現します。この短い検証を繰り返せば、正誤問題だけでなく史料・論述でも薪水給与令を確実な得点源にできます。
幕末外交史の弱点を洗い出し、毎日の課題へ落とし込みます
よくある質問
Q. 薪水給与令は何年に出されましたか?
A. 文化3年(1806年)と天保13年(1842年)の二つがあります。単に薪水給与令という場合は1842年令を指すことが多く、1806年令は文化の薪水給与令または文化の撫恤令と呼ばれます。
Q. 薪水給与令が2回出されたのはなぜですか?
A. 1806年に外国船を穏便に帰す方針を示した後、外国船事件の増加を受けて1825年に異国船打払令へ強硬化しました。しかしモリソン号事件とアヘン戦争で打払いの危険が明らかになり、1842年に補給して退去させる穏便方針へ戻したためです。
Q. 文化の薪水給与令は1807年に撤回されたのですか?
A. 1807年には蝦夷地襲撃を受けてロシア船への対応が強硬化しました。ただし国立公文書館は、外国船一般へ薪水を与えて事を荒立てない文化3年方針が1825年の異国船打払令まで維持されたと説明しています。対象をロシア船と外国船一般に分けるのが安全です。
Q. 天保の薪水給与令のきっかけは何ですか?
A. 1837年のモリソン号事件で異国船打払令の危険が表面化したことと、1840〜1842年のアヘン戦争で清がイギリスに敗れ、その軍事力が幕府へ大きな衝撃を与えたことが主な背景です。
Q. 薪水給与令で日本は開国したのですか?
A. していません。薪・水・食料を与えて退去させることは認めましたが、通商は拒否しました。1854年の日米和親条約による開港、1858年の日米修好通商条約による通商とは段階が違います。
Q. 異国船打払令と薪水給与令の違いは何ですか?
A. 1825年の異国船打払令は外国船を事情にかかわらず打ち払う強硬策です。1842年の薪水給与令はその方針を緩和し、物資が不足した船に薪水・食料を与えて退去させる穏便策です。
Q. 薪水給与令は入試でどう覚えればよいですか?
A. 1806年の穏便策、1825年の強硬策、1842年の穏便策という三段階を軸にします。レザノフ、フェートン号、モリソン号、アヘン戦争を原因として矢印の間へ置き、年・原因・内容の三列で再現テストをしてください。

本記事監修者 菅澤孝平
シンゲキ株式会社 代表取締役社長
「鬼管理」をコンセプトとした「鬼管理専門塾」を運営。大学受験・高校受験・英検指導・総合型選抜に幅広く展開しており、日本全国に受講生が存在している。
出演番組:カンニング竹山のイチバン研究所・ええじゃないかBiz
CM放送:テレビ東京など全国15局に放映





